2013
Nov
04
18
うちの猫専務紹介
はじめましてのご挨拶と
うちの猫専務紹介のページを
新しく作ってみました。
いつも来てくださっている方には
いらない説明なのですが・・・
タマの正式名が実は「しらたま」だとか
ちょっとトレビアっぽいものもありますので
お時間があったら見てくださいな(*^。^*)
カテゴリもごちゃごちゃになってるから
そのうち整理しなくちゃ~(汗)
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
はじめまして。
遊びに来てくださってありがとう♪
気楽に役立たzooの園長です。
今の社会では
役に立たないものは冷たい扱いで
切り捨てられちゃったりしますが
役に立たないものでも
気楽に生きていられる社会のほうが
他のみんなも幸せで楽しいんじゃないか・・・
という考えのもと、役立たzooは開園しました。
(というより 役に立たない園長のまわりに
役に立たない猫専務が吹き溜まってきた
っていうほうが 正しいかも~)(^-^;)>
秩父の自然しかない山の中での超スローライフ、
時々 地域情報や 生活の知恵?みたいなのも
載せてますので
よかったらまた 遊びに来てくださいね♪
それでは うちの猫専務たちをご紹介します(^▽^)/
あ、なんで猫が専務なのかというと
「役に立つことをなんにもしない」ことを仕事とする
何にも専務という役職についているからなのです。
ミルキー 男の子(平成14年生まれ)
平成16年3月に わずか2才で虹の橋のたもとにお引越し。

小学校の校門前に兄弟4匹で捨てられていたミルキー。
オッドアイなのが気味悪がられたのか 貰い手が決まらず
もう少しで保健所行きのところを 小学生だった娘が
泣いて家の者たちを説得、晴れて初代うちの猫になる。
2歳の時 突然 大動脈血栓栓塞症を発症。
一度は歩けるところまで回復するが 2度めの発作で力尽きた。
くぅ 女の子(平成16年生まれ)

くぅは うちで唯一 他家からもらいうけた子。
しかし くぅの兄弟は後で
みんな遠くに捨てられてしまったそうだ。
ずいぶん経ってから聞いたが 今でも悔しい。
くぅは人は好きだが猫が嫌いな性格で
いつも二階に引きこもっているから写真が少ない。
この写真も2年前のもの。
今年(平成25年)で9才になったが
病気も怪我もしたことのない飼い主孝行な子。
しらたま 女の子(平成17年生まれ)

通称タマ、目つきは鋭いが女の子である。
保護のいきさつは子猫の時
うちの主人の軽トラのエンジンルームに
入り込んでいたことから。
猫の声がしたが荷台を探してもいなかったと
帰ってきた軽トラのエンジンルームに
手のひらに乗るくらい小さな子猫がいた。
二時間近くも山道を走り
熱いエンジンで右目付近にやけどをしながらも
しがみついて生還した根性は
今でも遺憾なく発揮されている。
ミニー 女の子
生年不詳だがミルキーの兄弟なら平成14年生まれ

ミルキーが亡くなってちょうど一周忌の日、
庭にミルキーによく似た白猫が姿を現した。
その後もたまに見かけたが
栄養失調でひげも抜け落ちた状態になったので
半年後に見かねて保護。
のちにミルキーの姉妹をひきとった同じ地域の家が
その猫をまた捨てたという話を聞いた。
ミルキーはきっと2度も捨てられた姉妹を心配して
一周忌の日に うちへ連れてきたのだと思う。
ミニーは飢餓の反動でご飯をいっぱい食べ
あっという間に太ってしまった。
体重管理が甘すぎると反省しているが
もう二度と
飢える心配も捨てられる心配もさせたくないのだ。
シャオラン 女の子(生年不詳)
平成23年12月 虹の橋のたもとにお引越し。

平成20年8月の雨の夜 娘についてきたところを保護。
はじめて会った時から ひどい猫風邪だったが
病院に連れて行ったところ 臍ヘルニアで
FIV(猫エイズ)のキャリアでもあることが判明。
ヘルニアの手術の時 お腹の毛をそったら
不妊手術の跡があったので
飼い猫だったのが 病気で捨てられたらしい。
強く生きるようにと娘がシャオラン(小狼)と命名。
後に口蓋裂であることもわかり
三重苦の上に捨てられて どんなに辛かったかと
こちらは涙したが
本ニャンはいたって陽気でフレンドリー、
人間の子供が大好きで まるで犬のような猫だった。
FIVや口蓋裂の誤飲に注意を払っていたが
最後は腎不全で
クリスマスの五日前に旅立ってしまった。
そして最後に
うちから里子にいった
ペコとポコ 男の子

左がペコで右がポコ。
まだうちの次男が高校生だった頃
自転車で通学途中 猫の声がするのに気が付いて
道路わきの草むらをかき分けると
奥の用水路に子猫が二匹いたそうだ。
ペコは疲れて浅い水の中に座り込み
ポコが一生懸命鳴いて助けを求めていたらしい。
人家のない場所の 子猫には這い上がれない用水路、
捨てた人は雨でも降れば水量が増えて流されると
思って捨てたのだろう。
本当にそうなるところだった、 でも
ポコがあきらめずに鳴いていたから助かったのだ。
近くには貰い手が見つからなかったため
ネットの「いつでも里親募集中」さんに載せてもらい
無事 若い夫婦の里親さんに
しかも兄弟そろって育ててもらえることになった。
この子たちは運が強かった。
でも どんな子もゴミみたいに捨てられたりしない
そんな世の中にしないといけないのだと思う。
長い紹介になってしまいました。
お付き合いくださってありがとうございますm(_ _)m
うちの猫専務紹介のページを
新しく作ってみました。
いつも来てくださっている方には
いらない説明なのですが・・・
タマの正式名が実は「しらたま」だとか
ちょっとトレビアっぽいものもありますので
お時間があったら見てくださいな(*^。^*)
カテゴリもごちゃごちゃになってるから
そのうち整理しなくちゃ~(汗)
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
はじめまして。
遊びに来てくださってありがとう♪
気楽に役立たzooの園長です。
今の社会では
役に立たないものは冷たい扱いで
切り捨てられちゃったりしますが
役に立たないものでも
気楽に生きていられる社会のほうが
他のみんなも幸せで楽しいんじゃないか・・・
という考えのもと、役立たzooは開園しました。
(というより 役に立たない園長のまわりに
役に立たない猫専務が吹き溜まってきた
っていうほうが 正しいかも~)(^-^;)>
秩父の自然しかない山の中での超スローライフ、
時々 地域情報や 生活の知恵?みたいなのも
載せてますので
よかったらまた 遊びに来てくださいね♪
それでは うちの猫専務たちをご紹介します(^▽^)/
あ、なんで猫が専務なのかというと
「役に立つことをなんにもしない」ことを仕事とする
何にも専務という役職についているからなのです。
ミルキー 男の子(平成14年生まれ)
平成16年3月に わずか2才で虹の橋のたもとにお引越し。

小学校の校門前に兄弟4匹で捨てられていたミルキー。
オッドアイなのが気味悪がられたのか 貰い手が決まらず
もう少しで保健所行きのところを 小学生だった娘が
泣いて家の者たちを説得、晴れて初代うちの猫になる。
2歳の時 突然 大動脈血栓栓塞症を発症。
一度は歩けるところまで回復するが 2度めの発作で力尽きた。
くぅ 女の子(平成16年生まれ)

くぅは うちで唯一 他家からもらいうけた子。
しかし くぅの兄弟は後で
みんな遠くに捨てられてしまったそうだ。
ずいぶん経ってから聞いたが 今でも悔しい。
くぅは人は好きだが猫が嫌いな性格で
いつも二階に引きこもっているから写真が少ない。
この写真も2年前のもの。
今年(平成25年)で9才になったが
病気も怪我もしたことのない飼い主孝行な子。
しらたま 女の子(平成17年生まれ)

通称タマ、目つきは鋭いが女の子である。
保護のいきさつは子猫の時
うちの主人の軽トラのエンジンルームに
入り込んでいたことから。
猫の声がしたが荷台を探してもいなかったと
帰ってきた軽トラのエンジンルームに
手のひらに乗るくらい小さな子猫がいた。
二時間近くも山道を走り
熱いエンジンで右目付近にやけどをしながらも
しがみついて生還した根性は
今でも遺憾なく発揮されている。
ミニー 女の子
生年不詳だがミルキーの兄弟なら平成14年生まれ

ミルキーが亡くなってちょうど一周忌の日、
庭にミルキーによく似た白猫が姿を現した。
その後もたまに見かけたが
栄養失調でひげも抜け落ちた状態になったので
半年後に見かねて保護。
のちにミルキーの姉妹をひきとった同じ地域の家が
その猫をまた捨てたという話を聞いた。
ミルキーはきっと2度も捨てられた姉妹を心配して
一周忌の日に うちへ連れてきたのだと思う。
ミニーは飢餓の反動でご飯をいっぱい食べ
あっという間に太ってしまった。
体重管理が甘すぎると反省しているが
もう二度と
飢える心配も捨てられる心配もさせたくないのだ。
シャオラン 女の子(生年不詳)
平成23年12月 虹の橋のたもとにお引越し。

平成20年8月の雨の夜 娘についてきたところを保護。
はじめて会った時から ひどい猫風邪だったが
病院に連れて行ったところ 臍ヘルニアで
FIV(猫エイズ)のキャリアでもあることが判明。
ヘルニアの手術の時 お腹の毛をそったら
不妊手術の跡があったので
飼い猫だったのが 病気で捨てられたらしい。
強く生きるようにと娘がシャオラン(小狼)と命名。
後に口蓋裂であることもわかり
三重苦の上に捨てられて どんなに辛かったかと
こちらは涙したが
本ニャンはいたって陽気でフレンドリー、
人間の子供が大好きで まるで犬のような猫だった。
FIVや口蓋裂の誤飲に注意を払っていたが
最後は腎不全で
クリスマスの五日前に旅立ってしまった。
そして最後に
うちから里子にいった
ペコとポコ 男の子

左がペコで右がポコ。
まだうちの次男が高校生だった頃
自転車で通学途中 猫の声がするのに気が付いて
道路わきの草むらをかき分けると
奥の用水路に子猫が二匹いたそうだ。
ペコは疲れて浅い水の中に座り込み
ポコが一生懸命鳴いて助けを求めていたらしい。
人家のない場所の 子猫には這い上がれない用水路、
捨てた人は雨でも降れば水量が増えて流されると
思って捨てたのだろう。
本当にそうなるところだった、 でも
ポコがあきらめずに鳴いていたから助かったのだ。
近くには貰い手が見つからなかったため
ネットの「いつでも里親募集中」さんに載せてもらい
無事 若い夫婦の里親さんに
しかも兄弟そろって育ててもらえることになった。
この子たちは運が強かった。
でも どんな子もゴミみたいに捨てられたりしない
そんな世の中にしないといけないのだと思う。
長い紹介になってしまいました。
お付き合いくださってありがとうございますm(_ _)m