またまたカレーについて。。。ちょっとシツコイね、許して(^人^)初期のカレールーは溶けにくかったんだろうか。小学校の高学年ごろ覚えている母のカレーは「あ、お肉だ♪」と思って食べるとカレールーの塊だった。まぁ、母のことだから忙しがってルーを投入してすぐに火を止めていたのかもしれないな。おでんは大根が固くて箸が刺さらなかったし(^o^;)なにせ母は常勤で一日働いた後帰ってきてすぐスナックに遊びに行き一週間のうち6...
多分園長さんより私の方が少し?年上だと思いますが、
あの頃、町はともかく、山里での暮らしはほんとうに大変だったと思います。
特にそちらは、いまだに昔からの習慣とかも大切にされている地域なので、なおさらでしょうね。
そんな中で、油揚げをお肉の代用に思いつくなんて、さすが園長さん!
きっといろんなこと、工夫してこられたのでしょうね。
バイタリティ溢れるお母さんのカレーの思い出・・・
・・うちの母のカレーも、やっぱりルゥがダマになっていましたっけ。
人参も堅かったし、それにね、牛肉は高いからいつも豚肉。
それでも、カレーだと嬉しかったです。
やっぱり溶けにくかったのかな~(^m^)
結婚してからの大変さって
帰るところがあったらぜんぜん違うんだけど
そうでないものは そこで生きるしかないもんねぇ。
何度 夜の空を見上げたことかっていう言葉で
みかんさんが どれだけ辛いこと
飲み込んできたのか解る気がするなぁ。
この辺で育った人たちがつらいと思わないことも大変だったんですね。
ここの人たちにとっては 珍しいよそ者だったし(^o^;)>
嫁に来てからは 相当シビアで
生きるか死ぬかみたいな部分もあったんですけど
考えてみたら 実家でシビアな生活してたから
耐えられたってところもあったのかなって思います。
人生万事塞翁が馬ってやつですね~♪
カレールーは みかんさんからも
ダマになってたと情報があったから
やっぱり 今のルーは融けやすいように進化してるんだ。
うちの母のそそっかしさじゃなかったのねぇ(^o^;)
カレーってなんだか嬉しいよね。
カレーの思いでって、味わい深いですね。
色々ごくろうされて、だから園長さんて愛情深い方なんですね。
油揚げのカレーでおもいだしましたけど、嫁いだばかりのころ
姑が竹輪入りのカレーつくってくれました。
ほかにも、「なんでこんにゃく?」とか何時もおどろかされましたけど、煮ものなど余ったものを、カレーに投入してたんですね。
だれも手をださくなるともったいないから、そんな風にしたようです。いつぞやは、御煎餅の残りカスをザザザーとカレーにいれちゃって、ちょっと途方にくれました。気持ちは尊いんだけど・・・。
うちのカレーもルーがダマになってましたよ。
今よりずっと溶けにくかったのでしょう。
園長さんは、嫁ぎ先で色々苦労なさってますね。
地域的なものの考えや習慣の違いって
生活をするとなると大変ですね。
本当に、お疲れさまです。
竹輪にコンニャクですかぁ・・・
それは驚いちゃいますよね(^▽^;)
うち、練り物の煮つけが余ったときは
翌日 おでんにしちゃうことはあるけど
さすがにカレーはないな。
そして御煎餅!
うーん おそるべし、aacoさんちのおばあちゃん。
そちらもカレーより煎餅汁のほうが
まだ良いかもしれませんね~
みんないろいろあるんだなぁ。
食べ物にまつわる思い出は記憶に残るもの、
学校の勉強も こんな風に
思い出しやすいといいのにね(笑)
ルーの思い出はみなさんあるみたいだから
いかに昔からカレーが家庭食になっているか
わかるねぇ。
私の場合 小さいころから
割とサバイバルな家庭だったものだから
嫁ぎ先が田舎の長男でも
多少のことは我慢できると思ったけど
思ったよりちょっとばかり大変だったわ(^o^;)>
もっとデキた人だったら
こんなことはなかったんだろうと思うけど、
なんにしても この年まで
無事に生きてこられたのは有難いよね♪
カレールーは 同じ思い出があります、面白いね
今となっては 笑い話だけど (^▽^;
むかしは いろんなこと 遠慮させられて 上下関係
保っていたのよね
何度 夜の空を見上げたことか
星がきれいだったから救われてたのかも☆